49.5月上旬の活動記録
 1日は朝から天気が悪く、潮干狩りに行くはずだった娘は通常授業に成ってしまった。娘を小学校に送ってから事務所に籠り15日の質問通告に備えて一般質問の添付資料を作成しながら組み立てを整理して質問を文章化し、娘を学童に迎えに行ってから関係課にメール送信した。
 
 2日は朝から万石集会所に行き9時開催の万石区総会に来賓として出席し、自治会活動支援の一旦として今年度から防犯灯の費用を行政負担に替えるなどを説明する。万石区では小櫃川を背負っているために区の特殊事情があり、本来は行政が行うべきことを自治会に責任を押し付けているように感じることが多く、別途
最近思う事に整理した。総会で議論になった事故が多発している交差点や小櫃川の堤防を見に行く。
 
 帰宅して総会で感じた課題を別途整理し、午後3時からは中里に所有する農地の集約に関して「耕す」の農場長と打合せを行う。夕方は連休後半で登山に行く計画を天候に併せて変更すべく検討し、夜はニュースを見ながら酎ハイを飲んだ。
 
 3日は「憲法記念日」の祭日であり妻は小学校の郊外学習で潮干狩りに行けなかった娘や娘の友人家族とリベンジのように潮干狩りに行くことにしたので私も海岸の混み具合を見るために入口まで行き旧知の組合員に話を聞くと今日は多いが昨日は少なかったという。
 
 昔は協議会で山梨や群馬県でチラシ配りなど誘客活動を行なっていたが情報手段とレジャーの多様化が同時に進み協議会も解散して誘客も終わり、少子化の影響もあって潮干狩りの入り込み客は減少している。平成28年には市内の全潮干狩り場で約26万人が来ていたが令和6年では14万人に減っている。付加価値を加えるなど何かの対策が必要かと考える。帰宅してHPを更新し、潮干狩りが終わった娘達の遊びに呼ばれて身体を動かした。夕食を摂り風呂にも入ってから車の後部をフラットにして布団を敷き午後10時に自宅を出発したが金田料金所周辺で渋滞が起きていたので袖ケ浦ICに戻って本線に乗り西に向かう。日付が変わる頃から風が強くなり運転に支障が出てきたので駒門PAで仮眠した。
 
 4日は木更津では第24回かずさよさこいまつりが開催されるのではあるが既に地元を離れているので欠席である。登山に向けた移動日という位置付けなので駒門から出発し、清水で朝食を食べ浜松で給油し豊田で買い物をして恵那で温泉に入り道の駅坂下について車中泊をした。
 
 5日は快晴の中、日本300名山の
奥三界山[1,810m]に登山する。
 
 衆議院と市長選挙で登山が出来ず、運動不足で臨むには厳しすぎる標高差と水平距離であり、10時間を超える歩行は厳しいものであった。下山後に温泉に入り、午前3時に成ったが、この夜のうちに帰宅した。
 
 6日は朝から激しい筋肉痛で、荷物と登山記録の整理などを黙々と行う。翌朝から会派での視察が有るが体のあちこちが痛み、階段の上り下りが出来るのか心配である。終日出かけることなくパソコンに向い、夜は道の駅で購入した中津川の地酒飲み比べセットを楽しんだ。
 
 7日は4:50に起床して準備を済ませて服を着替え5:40に迎えに来ていただいた齋藤秀樹議員の車で袖ケ浦バスターミナルに行き羽田空港行きの高速バスに乗り7:45の日航213便で南紀白浜空港に飛びレンタカーを借りて田辺駅前まで行き会派羅針盤の行政視察を開始する。
 
1.和歌山県田辺市
  一般社団法人 田辺市熊野ツーリズムビューロー

 市制施行 平成17年5月1日(旧田辺市は昭和17年5月20日)
 人口 65,640人(令和8年3月31日現在)
 面積 1,026.89km2
 令和8年度一般会計当初予算額 478億円
 財政力指数 0.39 (令和6年度)
 視察項目 先駆的DMOの取組について
 今回の視察先は行政ではなく
DMO(一社)田辺市熊野ツーリズムビューロー(以下「田辺TB」と記す)である。令和4年度に270団体の中から(公社)京都市観光協会とともに日本の最上位となる先駆的DMO(タイプA)に選ばれた団体で「稼ぐDMO」となっている。(一社)木更津市観光協会は運営に当たり市の補助金や委託事業が前提となり自ら稼ぐ力を持っていないので先駆的な取組を把握することが視察の目的である。説明は3月末まで事務局長を担い、現在は企画部に戻っている市の職員が新しく4月から事務局長を担っている職員に変わる形で実施された。会計年度職員2人を含む4人が田辺市から出向しているということで、人事上は市役所からの支援を得続けていることも解った。
 
 2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に認定され本宮などには団体客が一時的に集中するようになったが持続的な開発には繋がらないことを危惧するなかで2005年に1市4町村が合併した新田辺市が誕生する。観光協会は合併せず旧自治体ごとに残しそれを田辺市観光振興課が統括する形態となった。2006年に発足した田辺TBは旧町村に公平に観光資源を分けるのではなく民間団体として一点集中型で世界遺産を活用することを決める。そのため、①ブームよりルーツ、②乱開発より保全保存、③マスより個人、④インパクトを求めずローインパクトで、⓹世界に開かれた上質な観光地、という基本スタンスの元で欧米系の個人旅行客をターゲットにしたインバウンドを推進することを決め現地対応を担う組織を目指す。旧自治体の観光協会は地域の観光イベントを担い、市は案内看板等の施設整備を担うといった役割分担を定め、商工会議所や金融機関からも理事を輩出してもらい地域経済の底上げを目指す。しかし現状として熊野の大型宿泊施設は田辺以外の白浜温泉や勝浦温泉が担ってきており田辺市の宿泊施設118軒のうち48軒が渓流釣り客などを泊めていた民宿であるなど受け入れ体制の整備も課題であった。
 田辺TBでは外国人の感性を求め旧本宮町でALTをしていたカナダ人のブラッド・トウル氏を招聘し看板にローマ字の追加、及び表記方法の統一、英語が話せなくても意思疎通が出来るようにコミュニケーションツールの作成と60回に及ぶ現地研修などを行い、さらにトウル氏が細部までこだわる歩行ガイド地図の作成も行った。外国人が田辺に来る交通手段をアシストする旅行会社が存在せず、田辺に営業所のあった旅行会社も辞退する中で2010年に熊野トラベルという旅行会社も設立し、外国人のワンストップ窓口となっているため24時間対応できる職員体制を敷いている。地域全体のシステムを整えてから受け入れは開始された。参詣道が世界遺産に指定されたもう一方のスペインコンポステーラ市との連携を図り両方を歩いたものは認定するという制度を採り入れるなどして情報発信やプロモーションも進めていく。因みに両国の共通巡礼達成者は2015年の開始から本年3月31日現在で1万4967人に達しており、国別では日本人の2278人を抑え台湾人が2479人でトップである。
 田辺TBと取引する契約業者は3月末で315社となり、245の宿泊施設、36のツアー会社と34のサービス会社が年5千円の会費で契約しているが商工会議所加盟社は半額としている。収益の多くは宿泊について設定価格と販売価格との約2割の料金差であり、宿泊業者にとっては事前決済に伴うキャンセルリスクを回避した日本円での料金収入が得られるメリットがある。他にも荷物を宿から宿へ搬送するサービスや弁当供給など新しいサービス提供による雇用も増加しているが、コロナ感染症対策での仕事の激減も有り、現在は13億円の売り上げに至っているもののスタッフは4人の市職員を含め26人に抑え、人口に占める影響は軽微である。それでも地域のボランティアが古道の道普請を行い、移住者が休耕田を耕作して景観を守り、小学校では総合教育の一環として語り部の育成を行うなど、官民共創で観光地が作られている姿は素晴らしい。
 コロナにより世界から人が来なくなる中で雇用を維持するために金融機関から借入を行ってしのぐ中、田辺市街の活性化を進めている(株)南紀みらいと連携を深めて海岸や繁華街の売り出しや、多様な収入を求めて英語ガイド養成講座や企業研修の受け入れも行っている。私たちの視察も10人まで10万円という研修費であり、会場も南紀みらいの会議室を別途3千円で借りるなど収入対策を進めた結果、昨年度は9千万円程度の純利が出て納税後の最終利益も3千万円は見込める予定であり内部留保も確保しているので大規模地震などの災害リスクでも雇用は当面維持できる見込みのようだ。売上の97.5%は地域内で循環されているように理想的なDMOであると見えたが、その先の世界的DMOを目指すには未だに行政に頼る部分の克服を目指すなど財政状況に課題が残ると判断されているようだ。これだけの事業展開を中心になって進めている代表理事について確認したが、観光協会に加盟している警備会社に嫁いだ元教師が前述のトウル氏と供に作り上げており、旅行業の資格者も職員に資格を取らせているとうことで外部の天才に頼っているわけではないという点も新鮮であった。木更津では「らず-biz」のように公募で成功している事例があるが、それが全てではなく地域の人材にも地域を変える力が眠っている可能性も意識すべきだろう。
 
 2時間以上の座学の視察を終えて正午を回り、近くで食事を摂ってから案内を求めずに会派のメンバーだけで現地視察を開始する。
 
 最初に駅から20km離れた位置に立つ「熊野古道館」に立ち寄る。ここは中辺路の起点として位置づけられる滝尻王子に近く、熊野古道に関する展示がされている。多くの欧米人がリュックを背負っており、これから山道に入っていくところであった。保存状態が良いのがこれから本宮にかけての部分であるが、田辺市街にも人を呼び込むため海岸で清めを行った場所を新たにスタートして設定する動きにも成っているようだ。
 私にとって熊野路は
1985年に初めて訪問し、1987年1988年と神戸に居た頃に自転車で走り、2010年2020年は木更津から長距離ドライブをして訪問した経験があるので理解していることは平安時代なら田辺は熊野の入り口であったと思うが近年は熊野三山から距離的に離れているため恩恵を受けていない都市であった。熊野古道も高野からの小辺路や新宮からの川の道などの有名なルートも多い中で、中辺路を3日間歩くという方法で田辺が熊野の玄関のようになった戦略の凄さを改めて感じる。街中で昭和が残る旧市街も「味光路」としてインバウンド客に売り出しており、木更津市の西口にも同様の旧市街がある中での戦略の差も感じながら人口6万5千人の田辺市の夜を過ごした。
 
 8日は6時前に起床したので海岸まで散歩しようかと考えたが、奥三界山に登った筋肉痛が癒えていない状況に気が付きホテルの部屋でニュースを見て朝風呂に入り朝食を食べ830に宿を出てレンタカーで御坊市役所に向かった。
 
2.和歌山県御坊市
 市制施行 昭和29年4月1日
 人口 20,543人(令和8年3月31日現在)
 面積 43.91km2
 令和8年度一般会計当初予算額 148億5701万7千円
 財政力指数 0.50 (令和6年度)
 視察項目 総活躍のまちづくりについて
 御坊市は2019年4月に施行開始した「御坊市認知症の人とともに築く総活躍のまち条例」を作成するにあたり当初は「認知症にやさしいまちづくり条例」として制定を進めていたが、本人たちから「やさしいは守ってもらうイメージで、私たちは支えられ守られるだけの立場ではない、一緒に地域をつくっていく仲間なんだ」という声が出され、変更された。全ての会議に認知症の方が出席し、地域で暮らす認知症の人たちにも意見を聞いて条例をまとめ上げたと聞いて、その基本的な姿勢と行政の優しさにまず驚かされた。
市は認知症に成っても自分らしく暮らせる街を作るため、①本人の声に耳を傾け、②本人の視点に立ち、③本人とともにこれからの暮らしを考える、という点を重視しており国から制度やメニューの変更が指示されてもブレない羅針盤として掲げている。
 認知症の人にとっての最大のバリアは他人の先入観であり、取組の進展と先入観の払拭を相乗効果に成るように進めている。具体的には短期記憶に障害がある方でも過去の経験で培ってきた技術は活かせるので、認知症の方に行政が看板の作成や自動車の修繕を依頼している。これはそれぞれの方がどの様な特性が有るのか把握していることが重要であり、10人の認知症支援地域推進委員や多くの地域見守り協力員との連携で情報を把握できるのは2万人規模の市だからと言ってはいたが、高齢化率が33%を超える状況での把握は大変なことだろうと思う。
 過去には小中学校で「認知症サポーター養成講座」を実施したところ、子供たちの感想が「認知症に成りたくない」「認知症は怖い」「守ってあげなければ」という声が多かったことを反省し、認知症の方も参加する中で認知症に成っても社会で活躍できることを教えるように変更したと聞き、本市での取り組みの視点を考え直さねばと思った。一方で質疑の中で後見人養成についての取組を聞いたところ、具体化に展開していない様子であり、この点については木更津市の方が先に進んでいるようであった。いずれにしろ認知症の方の地域に貢献したいという思いを大切にできる行政は、効率の点では大変だと思うが、理想に近いと感じていた。
 
 帰路の飛行機に余裕を持たせるために新しい市役所の議場の様子なども気になったが御坊市の方々にお礼を述べて退庁して駐車場に戻ると消防署の軽自動車消防車両、クラウドファンディングを使用していない模様のトイレカーなど、個人的に気になるものが左右に並んで停まっており、その写真だけ撮影してから南紀白浜空港を目指す。
 阪和道は順調で想定より早く到達することが出来たが南紀白浜インターから空港までの間にガソリンスタンドが無いことは事前に説明して欲しかったと思いつつ現金精算で返却する。空港で簡単な食事を摂りお土産を購入し、日航214便で木更津に帰る。報告の取りまとめなどやるべきことは多かったのであるが有志で砂払いを行い、遅くに帰宅しながら豊田で購入した日本酒を飲んでから深夜に就寝した。
 
 9日は娘を請西の土曜学校に送ってから岩根小学校に行き9時半からPTA役員会議、10時半よりPTA運営委員会を開催する。前年度は副会長であったが多くを会長任せにしていたので細部が解らず、経験値の高い副会長達に支えられての進行であった。この日は年間計画の確認と事業執行にあたっての連絡体制などを確認して終わる。午後は連休から溜まっていた雑件を処理してから娘を迎えに行き、白浜空港で購入した日本酒を飲みながら視察の資料を整理し、娘を寝かしつけた。
 
 10日は8時半前に岩根小学校に行き岩根西まちづくり協議会が主催する三世代交流グランドゴルフ大会の開会式に出席する。妻子は大会に参加するのであるが私は次の予定があって競技には参加することが出来ず、挨拶をしてラジオ体操を行い写真を撮って退席した。
 そのまま江川集会所に移動し10時半開催の江川区総会に区の相談役として出席し、警察の駐在所と消防団詰所が集会所の隣接地に移転することや駅前地下にあるエフ競馬のダイエー横への移転という構想があること、市長公約の飛行場民間利用の進め方などについて挨拶の中で説明する。江川区では高齢化による加入世帯の減少が続いている中で中里境界にある転落事故のあった排水路への防護柵設置も自治会で行っている。資材については市の協力があるとはいえ安全対策も自治会に委ねることには万石区で最近思う事に整理したように違和感を感じる。総会後に会場の後片付けを手伝いその後に防護柵の撮影に行く。
 台風の時には潮風が吹き付ける場所なので、単管パイプで作られた柵は近い将来に錆びて朽ちてしまうと予想されるが市は移管を受け入れるのだろうかなどと考えながら帰宅して昼食を摂り、午後はグランドゴルフから帰宅した娘と母の日の買い物や遊びに付き合い、夕食後に溜まっていた活動記録を一気に書き上げ日付が変わる頃にアップした。
 
 
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2026年5月中旬の記録