57.7月下旬の活動記録
 21日は夏休みに入った娘と朝顔を観察してから学童に送り届け、駅前庁舎に入り、議会質問や行政視察に関して会派室で打合せを行う。午後からは水道企業団の新田庁舎に入り13時からの事業運営懇談会に出席する。13人の議員が全て出席する中で下記の議題が説明された。
番号 内容
No.1 令和5年度の実施予定工事の概要
No.2 公募型プロポーザル契約における結果報告
No.3 広域連合ビジョンについて
No.4 水道料金改定について
 過去に発注が遅いと指摘されていた工事について今年度は順調に発注が続き平準化に寄与していることが示された。2月議会で私の質問に対する答弁で債務負担行為でゼロ債務工事は補正計上する旨の答弁があったが、まだ年度当初という事もありその件数については示せる状況ではないことを確認した。プロポーザルの審査は全て職員が行っていることが解ったが、徴収検針業務は予算額より3億3千万円近く安く委託されていることが解り集約による効果が少しは生じたものと安堵する。広域連合ビジョンと水道料金の改定については木更津市以外で改定が行われ基本計画に示した額より上げ幅が大きくなるものの各市から出資金を受けることで低めに押さえる方針であることや基本料金をあげ使用料については抑える方向などの概要が示されたが、水道審議会が来月開催予定なので細部は記載しない。木更津市の大口径管基本料金改定に伴う激変緩和措置や事業費削減手法としてのデザインビルドなど解決していない宿題も多く、肝心の料金表については各市との調整が長引く見込みの中で10月30日に予定している事業運営懇談会まで示すことが難しそうだということも明らかになった。
 会議は2時間半で終わり、帰宅して車を車庫にしまってから17時半より水道に出向している議員と幹部職員による懇親会に出席した。統合後に台風やコロナが続いたため、5年目にして初開催である。懇親会は盛り上がったが木更津総合がベスト8で姿を消したことが残念であった。
 
 22日は地域住民として自衛隊のV-22に体験搭乗の予定であったが諸般の事情により中止となったので自宅で雑用を片づける。
 朝から風は涼しいものの日射しは強い。気象庁は関東地方が梅雨明けしたと発表したが、今月の7日以降に降雨が計測されていない状況を考えると後日梅雨明け日が変更になるだろう。庭では9日のイベントで購入してきたプルメリアが南国らしい花を咲かせていた。夕立でもないと樹木が乾いてしまいそうだ。
 高校野球は前日の木更津総合に続き、午前中には拓大紅綾も姿を消したが、志学館が準決勝に進出したことに喜びながら、HPを更新した。
 
 23日から地域交流ラジオ体操が開始されるので早朝から妻子と岩根小学校のグランドに行き、日射しを避けて校舎の陰で身体を動かす。
 帰宅して朝食を摂り新聞を読み9時50分に巌根駅へ行き形になってきた跨線橋エレベータの設置状況を眺め、そう言えばそろそろ東口改札工事の設計詳細や工期などの説明も受けなければ成るまいと思いながら10時の下り電車に乗り君津へ移動する。
 君津では駅の北口で開催されている「きみつサマーフェスタ2023」の会場で青年会議所が「かずさまちづくりフェスティバル」を開催するので激励に訪れ、本来なら13:50からのかずさ四市合同災害協定締結式を見届ける予定であったのだが延期に成った事を会場で知る。
 私も青年会議所の主なメンバーや石井市長・榎本商工会議所会頭などに挨拶を済ませ、サンバカーニバルも見学してしまったので会場で合流した高木現OB会長と一緒に12時50分の列車に乗って千葉へ移動した。
 日射しはあるが以外と涼しい中で千葉市生涯学習センターまで歩き、14時開催の災害ボランティア議員連盟千葉支部総会に出席する。会議では12月頃に鋸南町で研修会を行うことや会員に会費納入の案内とともに総会の議事録を郵送することなどを決め終了した。
 総会後は7市10人の会員とともに千葉駅のペリエの屋上で開催されているビアガーデンで情報交換を行い、他市の議事運営の生情報を参考にさせてもらい、木更津市の取組を披露するなど有意義な時間を過ごし、夜中の下り電車で巌根駅に帰ってきた。
 
 24日は江川会場で娘とラジオ体操を済ませ、平日の月曜日であるが娘との夏休みの約束で富津ジャンボプールへ出かける。9時半から午前中だけ楽しもうと思っていたが娘が帰りたがらず、結局15時半まで6時間もプールにいた。親子ともに日焼けして帰路に着き、タブレットに届いたメールで、前日にV-22が飛行出来なくなった理由は2022年6月8日のカリフォルニアの事故で構造的問題があったという事故結果が米海兵隊より発表されたためであることを知る。当面の間は自衛隊機の飛行は見合わせる中で佐賀に行くことになりそうだ。ともあれこの日はプール遊びに付き合って疲れ、麦酒を飲んで21時過ぎに床に入って眠りについてしまった(→写真が無い理由)。
 
 25日は夜明け前に目が覚め、涼しい内に事務所に入り4時前からHPを更新する。妻子を連れて岩根西中会場でラジオ体操を行い、帰宅して朝食を摂ってから娘を学童に送り、私は10時の境界立会に出かける。
 水路を挟んだ土地での住宅建設に伴う境界の確認であるが、宅地化が進み耕作者が居なくなった水路は葭が生い茂り、私の土地は浸食により水路の一部になっている事も知る。それでも土地改良区の一部なので改修は地元負担が発生する水路なのである。
 境界の立会を終えて駅前庁舎に登庁し、コンビニ弁当を食べながら調べものを行い、午後1時半から3件の打合せを終えてテレビを点け、高校野球の準決勝で志学館が専大松戸に負けた姿を見てから帰宅する。事務所をエアコンで冷やしながら娘を学童に迎えに行き、翌日からの会派視察に向けた荷物の整理を行った。
 
 26日は迎えに来ていただいた齊藤秀樹議員の車に乗り木更津駅まで送ってもらい6:50の羽田空港行き高速バスに乗って行政視察を開始する。なお、集合時間が早いのでラジオ体操はこの日から3日連続でお休みとなるが妻子は頑張って続けると言う。4月の改選に伴い会派が7人となって最初の視察であり新人には始めての視察であるが、後述のように若干のイレギュラーな視察が想定される点が申し訳ない。
 ともあれ羽田発ANA661便で長崎空港に降り立ちANA4675便に乗り継いで五島福江空港には12:20に降り立った。九州北部は梅雨明け直後で空が青く日射しが強い。タクシーに分乗して宿泊するホテルに向かい、近くで「五島うどん」でも食べようと思ったが1軒は休みで、他も昼時を回り営業終了であった。
 仕方なくコンビニのそばなどを購入してホテルに戻って喫茶室を借りて食事を摂り、歩いて五島市役所に移動し13:55より視察を開始する。
 
1.長崎県五島市
 市制施行 平成16年8月1日(旧福江市は昭和29年4月1日)
 人口 34,681人(令和5年6月30日現在)
 面積 420.10km2
 令和5年度一般会計当初予算額 327億1百万円
 財政力指数 0.24 (令和3年度)
 視察項目 日本語学校の運営事業について
 木更津市がベトナムのダナン市と友好都市の調印式を行った4年前の
7月26日の夜、同じくダナン市を訪問されていた五島市の職員からベトナム人材の確保策として日本語学校を運営する計画があることを教えていただき、開設のおりには是非とも勉強させていただきたいと申し込んでいたものがコロナで時間が空き、やっと実現できた視察である。
 フジテレビ系列で書道家を主役にした「ばからもん」というドラマが始まり観光客も増加中とのことで、今週も3市から視察が訪れる予定という忙しさと聞く。テレビの影響で市役所の窓口にも「書」が飾られていた。視察は五島市の木口議長も同席していただき、職員に答えにくい話は適切に補足していただいた。
 五島市は1市5町合併で誕生した10の有人島と53の無人島から成る自治体で、昭和30年頃には合計9万人を超えていた。合併時にも47614人であったが減少を続け、人口研が2060年には1万人を切ると推計した値に対し2万人を維持することが重点目標となっており、様々な施策を積み重ねている。今回の日本語学校の設立に当たっても総務省の提案に対し長崎県立大学と長崎県と市が平成29年に協議をまとめ、県立大はダナン市と包括連携協議を結ぶなど、五島市だけの単独事業ではない。現在の役割分担は県立高校で使用されなくなった寮を市に無償貸与するとともに留学生の仕事を確保することが長崎県、留学生の確保と留学生の進学の受入が県立大、市は学校の誘致と校舎・寮の確保と改修及び留学生の生活支援となっている。市は平成30年と令和元年に2億5548万円の事業費で校舎・寮の整備を行ったが国庫支出金で約半分の補助を得て、残りも地方債を起債して償還金の70%が交付税措置を受けることを加味すると市の実質的な負担額は3842万円と試算される。学校の運営は公募の結果、九州総合学院が行っている。
 学校は2年間各50人、合計100人を定員としており全てベトナムからの留学生である。学校の運営は委託方式ではなく、施設を無償で借りた上で留学生の授業料だけで成り立っている。入学金と授業料及び寮の管理費等を含む学校関係費用は一人の留学生が2年間で156万円となり、それに対し五島市が月4万円(2年で96万円)の奨学金とJLPT(日本語能力検定試験)のN1・N2に合格した場合は各2万円を支給するので最大百万円を留学生に給付している。学生の立場では差額の56〜60万円と生活費の月3万円程度(2年間で約72万円)を週28時間以内のアルバイトで稼げば済むことになる。月平均にすれば約6万円、週に1万5千円程度だから無理な額ではなく余った額を故郷へ仕送りもしている留学生も居るようだ。留学生の収支を計算してみると
 収入 4万円×12か月+50週×28時間×1000円/hr=188万円
 支出 授業料 78万円/年+生活費 36万円/年=114万円
 従って、差額の74万円を貯金または仕送りに回せる計算である。
 五島市の漁業や観光産業では深刻な人手不足が生じており漁業は特定技能実習生をインドネシアに頼っているという事であるが観光や飲食など多くの産業で留学生の需要は高いようだ。学校卒業後に五島市で働くと免除になるような授業料貸付制度は検討していないのかと訪ねたところ、離島に留学生を確保するためには給付型にして人気を高くする方が良いという判断であった。実際の所、50名の定員に対しての応募倍率が高い状況にはないようだ。実は市の歳入も100人の留学生という人口の増加により約1千万円の普通交付税の増加に繋がっているうえに奨学金も80%が交付対象となるという。市の収支を計算してみると
 収入 交付税等 1000万円+4万円×1200人月×0.8=4,840万円
 歳出 奨学金の市負担分 4万円×1200人月=4,800万円
 従って、建設費の償還を考慮しないと毎年40万円の黒字事業である
 財政上のメリットがある上に経済界も満足するし、地域や学校との交流を通じて五島市の国際化にも寄与している。因みに五島市で所管する課は政策企画課である。質疑を終えて学校を見学させていただいた。
 お話しいただいた元中学校教師の吉澤校長先生を始め11人の教職員で学校は運営されており、そのうちの一人は1期生の卒業生である。コロナの影響で日本に来れなかった留学生の救済措置のために2年間の学校に3期の生徒が混在する状況となっており、その性別及び学歴等の内訳は下表の通りである。
入校順 在籍人数 学歴 JLPT(日本語能力検定)
期数 卒業予定 男性 女性 合計 高卒 短大 大卒 N1 N2 N3 N4 N5 -
2期生 2024年3月 2 19 21 13 1 7 2 8 10 1
3期生 5 31 36 13 3 20 11 19 3 3
4期生 2025年3月 17 25 42 20 2 20 3 9 7 15 8
合計 24 75 99 46 6 47 2 22 38 7 19 11
 ほぼ3/4が女性であり、半数近い学生がベトナムの大学を卒業した上で日本語の能力を身につけようとしている。特に期数が上がる度に大卒の率が高くなっているのでベトナム国内で学校の評価が高くなっていることが想像される。基本的な日本語が理解できるレベルのN4の学生を日本語に卓越したレベルのN1まで上げることを目標としているが、現状の能力は大きく分散しているようである。校長先生からは女性は真面目で夜遅くまで寮の食堂で勉強していると教えていただいた。開校の前には外国人が集まることに地域の不安や反対も有ったものの真面目な態度に評判が良くなり、今は遅くまで学校に灯りが灯って点いていることで治安が良くなって周辺に若い世帯が多く移り住んできているようだ。なおコロナの密を避けるため部屋の人数を減らしたために、学校に併設された寮には女性だけが住み、男性は学校が準備した近所のアパートから通学している。寮やアパートはバストイレだけでなくエアコンや冷蔵庫も完備されているが1部屋に2〜3人が生活しているようだ。受入機関に多くの借金をして日本に渡る事例が問題となっているが、ここでは渡航費と最初の入学金などの他には多くの費用が必要ないように配慮されている。
 授業は午前の部と午後の部に別れて行われているので各学年の教室は25人の少数教育である。午後の部の学生は午前中にアルバイトを行っており、その真面目さが評判を呼び20人近くを採用しているリゾート施設も有ると聞くし、1年目から片言の日本語を使いスーパーでレジ打ちをしている学生も居るようだ。
 過去に他市で問題となった在籍はしているが授業にも出ずに働いているといった問題が生じないように出席率には厳しい規定を設け、90%を下回ると大学受験資格喪失、85%で母国に連絡、80%で退学勧告、70%で退学と帰国と定めているが、基本的には欠席する生徒は少なくアルバイトも殆ど休まないようである。授業風景も極めて真面目であった。学校に勤めた卒業生が生徒の相談役にも成っているようだが、就労ビザは毎年更新しなければ成らないようで国の制度の遅れも感じさせられる。木更津市もダナン市と姉妹締結をするだけでなく、積極的に国際交流を深め、産業界への人材確保を進め、地域のイベント参加を通じて社会貢献になるような制度として、この日本語学校を見習うべきであると思った。
 
 ほぼ2時間の視察を終えてホテルに戻ると自宅に佐賀新聞社から電話があったと母から連絡が来る。明日の佐賀駐屯地視察にあたり報道が入ることは九州防衛局に聞いており、その許可も出している所であるが、何やら大事に成らねば良いと思いつつ、近くの福江城まで散歩に行き28年前に旅したときの記憶を思い出していた。18時から7人で視察の意見交換をする中で、明日の佐賀視察はぶら下がり会見を受けることになっているので誰か代わりに「近藤」を務めるつもりのものは居ないかと聞いたが、誰も立候補してくれなかったので覚悟して速めに寝た。
 
 27日も青空が広がっている。長崎に向かう飛行機は10:50が始発なので、ジャンボタクシーを手配して2時間ほど島の見学をしながら話を聞く。島に観光客が増えつつあることとベトナム人の評判がよい事も確認した。また浮体式洋上発電を10機にする計画があり再生可能エネルギーで島の電気を自給するようだが余った電気はどうするのだろうか。

鐙瀬溶岩海岸

鬼岳

奥浦りんご石

堂崎天主堂
 ANA4674便で長崎に渡り新幹線の新大村駅近くの喫茶店でご当地カレーを食べ長崎新幹線28号で佐賀駅を目指す。武雄温泉駅で新幹線リレー号に乗り換え、13:35に佐賀駅を降りると改札前に九州防衛局の遠藤企画部長を始めとする職員の方々がスーツ姿で出迎えに来ていただいていた。佐賀市の気温は既に37度に迫っているということなので当方は用意してきたジャケットは着用せずクールビズで通させていただく。事前に手配しておいたジャンボタクシーに乗り、九州防衛局の誘導で説明と質疑が行われる佐賀地方協力本部のビルに向かった。15分ほどで佐賀地方協力本部に着くと何やら空気が張りつめている。原因はここに報道陣が10名以上集まっているからであり、私もにわかに緊張する。
  
2.佐賀県佐賀市(九州防衛局)
 視察項目 佐賀駐屯地の建設事業について
 会議に先立ち会場に報道陣が入り、状況の頭撮りが行われた。その中で私からは九州防衛局に視察を受け入れてくれた事への感謝を伝えるとともに暫定期間を遵守し防衛省において移駐を進めることを冒頭に求めた。その後、報道関係者が退出した後で説明と質疑が行われる。解ったことは6月12日着工となった造成工事は工期を短縮するために採用された「設計に係る技術協力業務」で大成建設・鴻池組・松尾建設共同企業体から真空圧密工法の提案があったこと、夜間工事は7月17日より開始されているが住民生活に影響を与えないよう土砂運搬ルートのモニタリングを行っていること、工事開始後に寄せられた苦情は7月25日までに10件程度であることなどである。工程は下表に示すようにV-22の移駐に必要な工事だけを先行し、それ以外の工事は移駐後に進めるという、建設関係者から見るとシフトが効いた計画である。
 

 このうち、準備仮設と地盤改良造成工事だけで140億円の契約となっており、格納庫や隊庁舎などの建設工事として令和5年度予算は1千億円を計上しているということである。生活への影響も無視できないが、工事に伴う地域経済への波及効果も大きそうだと感じている。
 会議室での話を終えて外に出ると壁際にマイクが設置され、私は会派を代表して九州防衛局企画部長とともにぶら下がり取材を受けることに成る。NHK・朝日・毎日・読売・共同通信社などからコメントを求められるが、過去の定期機体整備や暫定配備での経験が役に立ち緊張はしなかった。
 木更津市で2020年7月から始まったV-22の暫定配備については5年を限度とすることを条件に認めた経緯があり、その際の議長である私は当時の永原委員長と2019年12月に防衛省の本庁に意見書を提出に行った当事者でもあるが、その事は特に言わず、報道関係者には木更津の立場を伝えただけで取材の時間を終えた。再び車に乗って25分ほど移動して佐賀空港ビルに向かうと、擦れ違う車両にゼッケンをつけたダンプが多く工事が進んでいることを実感する。空港に到着して展望デッキに上がり、土木課の課長から工事の説明を受け現場状況を確認する。
 敷地内にセメントプラントが設けられていたので質問すると多くは真空圧密を使うが建築工事を行う現場ではセメント改良をしているようだ。圧密により2m程度の沈下が予想される造成工事に要する土砂は約80万m3で、120台のダンプカーが平均3回ほど北部の山の採取場と往復して運搬する計画である。
 海が近いので80万m3の土砂は船で行う方が容易ではないかと聞いたが有明海は干満の差が大きいので荷揚げ施設の設置が難しいことと海苔漁業への影響が大きくなることで諦めたということであり、同様の理由で供用中の佐賀空港も陸上運搬で施工されたようである。既に現場には多くの工事車両が稼働しており200人程度の作業員が働いている様子であった。これ以外にもダンプカーの運転手が120人、土砂運搬ルート中の15箇所に複数の交通誘導員、山での土砂積み込みの関係者など、駐屯地の外でも多くの方が工事に関係していることが想像される。
 工事着工から45日しか経っていないのに進捗が早く、ゼネコンに任せたら2年後の6月前に移駐が出来そうだと個人的には感じながら視察を終え、現場が近くで見える場所で7人が揃った写真を撮影していると追いついた報道関係者に撮影され記事にも成ったようだ。
 
 特急で博多に移動してホテルに荷物を置き、前日の静かだった福江と大きな差がある福岡の街の賑わいに気後れしながら、夜の意見交換会を遅くまで続け、新人議員の議会での活躍を鼓舞しつづけた。
 
 28日は視察工程の最終日である。当初は午前中に糸島市で官民連携事業を視察するつもりであったが民間サイドの話が出来ないと断られたのは飛行機を予約した後だった。早割で取った飛行機の変更には手数料が必要となるので、日程はそのままにして空港近くの「博多の食と文化の博物館」を見学した。
 福岡空港を14:10に飛び立つANA256便で羽田に戻り午後の暑さの中で帰宅する。この日は岩根西地区まちづくり協議会によるやっさいもっさい踊りの練習会があったが時間的な余裕がないことと視察の疲れで出席せず、早めに床に着かせていただいた。
 
 29日は3日ぶりに地域交流ラジオ体操を万石会場で行った後、視察の荷物や資料を片づけることもなく、都内で用事のある妻に代わって娘の夏休みの想い出造りと称して、自分も行ったことがない蓮沼ウオーターガーデンに出かける。早く帰ろうと言ったのに先週の富津と同様にプールに6時間も居ることになり今回もすっかり焼けてしまった。
 駐車場を出て海沿いに南下すると白里海岸での花火見学渋滞に捕まる。それでも諦めることなく裏道を通って茂原市役所に向かい、車を停めて七夕まつりを見学する。人が多すぎて娘と駅前までへくことは諦め、屋台での買い物を肴に帰宅し自宅で麦酒を楽しんだ。
 
 30日も良い天気であるが西中会場でラジオ体操を行った以降は事務所に閉じこもり扇風機の風を浴びながら視察資料の整理を行う。昼前に給油に出かけ、買い物をして帰宅すると暑さが耐えられなくなりエアコンを付けたので益々外出できなくなり、夕方に同僚議員の御堂の通夜に出かけるまでと、帰宅して夕食後も事務所でパソコンに向かい続けた。
 
 31日は岩根4丁目会場でラジオ体操を行い、午前中は現場立会の後に私的な仕事を片づけ、午後からは会派室に隠って佐賀駐屯地の視察報告を作成する。内容を要約して事実を取りまとめるのに苦労して原案を鶴岡議長等に確認してもらう。帰宅して娘を迎えに行き、夜中に録画していた報道番組を続けて視聴した。
 
 
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2023年08月上旬の記録