76.2月上旬の活動記録
 1日は二日後に迫った節分祭(どんと焼き)の準備のため8時から江川熊野神社でテントの設営等を行い、10時からは災害時要援護者の江川区における支援体制の打合のため岩根西公民館の会議に出席する。会議終了後、水神祭を終えた竜宮様にお参りに行く。
 江川漁業協同組合で12時にバスに乗り、水神祭の直会に来賓として出席し組合の方々と様々な意見交換を行っている内に15時を回ってしまった。16時から西山・万石合同新年会に出席するため移動し、引き続き様々な意見交換と課題の請負を行ってきた。
 帰宅後に雑務を処理してからHPの片付けを行ったが、作業が終わったのは日曜が間もなく月曜日に変わる頃だった。
 
 2日は天気が良いので富士山を見るために山梨県都留市に有る
今倉山に登る。先週末の雪が残る山であったが素晴らしい展望を楽しむことが出来た。下山後は山中湖に抜けてダイヤモンド富士を鑑賞する。木更津では春分と秋分で見ることが出来る現象だが、近くで見る絶景は感無量であった。
 
 3日は私的な仕事を片づけてから市役所に行き打合せを行い、午後からは下水道推進課より本市で始めて採用した『オープンシールド工法』で施行している清見台幹線の説明を現場で受ける。矢板による従来工法やフルシールドに比べ安価に成る事を確認して帰宅する。
 4時過ぎより江川熊野神社の節分祭(どんと焼き)の設営準備と4年前の選挙ダルマの御炊きあげを行い、5時半からは江川日枝神社の節分祭(豆まき)に参加する。6時半には熊野神社に戻って祭に参加し、午後7時半過ぎからテントや諸機材の後片づけを行って解散した。
 
 4日は早朝にHPの更新を行い、9時半より県南13市議会議長会による研修会に出席するため滝口議長と共に宇都宮に向かう。東北道からは日光連山も良く見える、寒そうな日であった。
 
1.栃木県宇都宮市
 市制施行 明治29年4月1日
 人口 516,033人(平成26年4月1日現在)
 面積 416.84km2
 平成26年度一般会計予算額 1,893億1千万円
 財政力指数 0.937 (平成26年度)
 視察項目 小中一貫教育と地域学校園について
 宇都宮市は市内に小学校68校、中学校25校を擁する都市であり、複数の小学校から一つの中学校へ集める制度になっていた。その為か中学に進学するときに勉強が嫌いになったり不登校になったりといったいわゆる『中1ギャップ』が大きな問題となっていた。具体的には平成20年度で勉強が好きな小学校6年生は69.5%で中学校1年生は38.6%というように中学で意欲が著しく低下する状況であった。この解決のため、平成17年度から『宮っこ未来ビジョン』を市長部局と教育委員会が一緒になって作成し、平成21年度から中学校区を単位とした『地域学校園』の設定が行われると共に『魅力ある学校づくり地域協議会』を中学校を中心とした人づくりも行われた。一貫教育とは施設のようなハードの一体化ではなく、小中一貫カリキュラムの作成と小中相互乗り入れ授業の実施といったソフト面の対応で、平成22年度に6校をモデル地区に実施され、平成24年度から市内25地区全てで実施されることになったものである。
 その結果、子どもの『中1ギャップ』が若干改善され、平成25年度で勉強が好きな小学校6年生は71.2%で中学校1年生は49.4%となった。教師にも工夫した授業の展開といった意欲改善には繋がっているようであるが、先生の労働時間は延び、大変だと感じている教師も多いようである。
 本市では小学校と中学校が1対1の対応に成っている所が多く、大きな中1キャップの話は聞かないが、ハード面での対応が必要でないこの様な取り組みは積極的に進めるべきだろうと考えて聞いていた。
 県南13市の正副議長が(1名欠席であるが)揃っているので、会場に多くの議員が居る中での研修は妙な緊張感もあったが、午後4時前に研修は終了した。市内のホテルに泊まるため余裕時間を使って商店街に隣接して設置された広場などを個人的に見て回った。この辺の調査も今後行いたいと思った。
 
 5日は県南13市議会議長会の研修を終え、かずさ四市議長会による研修に移るため茨城県の日立市を目指す。途中で茂木町の道の駅にある防災館にも立ち寄ったが、災害の意識を忘れないようにという気持ちには感心するが共有できているか若干疑問に感じられた。
 天気は予報通り崩れ始め、茨城との県境を越える頃には雪模様になってきたが太平洋岸の日立市は雨だった。午後1時半より研修を始める。
 
2.茨城県日立市
 市制施行 昭和14年9月1日
 人口 186,132人(平成26年4月1日現在)
 面積 225.55km2
 平成26年度一般会計予算額 655億85百万円
 財政力指数 0.834 (平成26年度)
 視察項目 産業振興施策について
 日立市は日立製作所の企業城下町として繁栄した都市であり、その下請け企業などで工業が発達し、茨城大学の工学部が設置され、最盛期には838件の工場が立地していた。しかし、1995年頃の急激な円高により日立が中小企業の面倒を見ることが難しくなり、企業の海外展開やリストラ等が進み、2012年の工業統計では424件に減ってしまった。それに伴い人口も減少し、2013年の社会減は全国第2位となる1485人であるなど危機感を持っている状況にある。自治体としても今まで企業の法人税にお世話になっていた分をお返しする必要があると考え、1998年に「財団法人日立地区産業支援センター」を設置し、2007年には一橋大学の関教授を中心に次世代経営者塾「ひたち立志塾」を私塾として立ち上げ、意識改革を進めるとともに販路の開拓や技術開発を推進するなど企業の側に立った取り組みを行ってきた。
 日立市で何より感心したことは、説明していただいた小山課長は23年連続で産業振興政策を担当し、経験も人脈も培っている事である。旋盤などの技術にも精通した「最強の素人」であり、@誰のために、A現場主義であれ、B力の出し惜しみはしない、という考えで黒子に徹して取り組んでいる姿勢には感心した。
 行政の商工振興計画はコンサルタントに外注するのではなく、職員によって作成することで情勢の変化が有ったときは柔軟に対応する事が可能になるといった点も感心するが、人口減少を食い止めるため年齢性別別の分析を行い、20〜24際の女性の転出が多いことに着目し、女性が製造業に携わりやすくなるような更衣室や便所の整備に補助金を出すなど、産業振興を経済の問題に留めず、市政全体の取り組みに昇華している事には勉強させられた。
 職員を専門家に育てることや、産業支援センターの委託先等について四市の正副議長から活発な質問が続き、人口施策の点などを持ち帰ろうとしている市も見受けられるなど、有効な研修になった。最後に議場で写真を撮影し、この日の宿泊先である水戸市まで雨の中で移動した。
 
 6日は水戸市博物館視察後、一路木更津市役所に戻り、午後から正副議長に対し教育部・財務部・総務部の説明を聞く。帰宅後は選挙に向けたリーフレット作成の準備を遅くまで行った。
 
 7日は朝からリーフレットの打合せを行い、午後からは岩根西公民館で開催された「まちづくりフォーラム」に参加する。もしもの時、あなたは大切な家族や自分自身を守れますかと題して防災部会の主催によるセミナーである。会場に行くと企画部の所管課も来ており、地域住民も40名以上参加されており、大変盛況である。
 基調講演は木更津高専の鬼塚教授による「地震の基礎知識と防災の心構え」で、第2部として「災害弱者に配慮した防災まちづくり」として木更津高専の5年生である鈴木君から講演があった後、各テーブルごとに海岸で津波警報が出たらという想定で机上訓練が行われ、発表が行われた。
 鈴木君が研究発表を行う前に木更津市にヒアリングを行ったところ、防災拠点の整備計画は今後も無しという回答を受けたと言うことである。渡辺市長の公約の中で『宣言8.いざという時の安心安全。(中略)津波浸水予想地域へ避難所としての築山(富士山展望施設)の整備』『宣言10.未来へ向けたインフラ整備。(中略)木更津飛行場周辺地へ国の基幹的防災拠点の誘致』とあり、それに向かって検討を進めている事が市民に知れ渡っていないばかりか、ヒアリングでも秘匿している事は如何かと思った所である。差し出がましいようではあるが、その点について私からの説明をさせていただいた。
 夕方は知人の葬儀に参列後、帰宅途中で冬花火を中里漁港で見る。
 
 多くの車が集まり、確実に浸透している気配がしていた。いよいよ来週でこの企画も終わりと思うと残念な気がする。
 
 8日は市内を所要で回り、午後からHPの更新を始めたが視察の整理に時間が掛かり夕方までには完結することが出来なかった。それでも日没後に車に荷物を積み込み、友人と白馬への旅に出た。深夜に白馬村のエコーランド地区にあるペンションに到着する。綺麗な街並みに感心して帰宅後に調べてみると
景観形成住民協定が結ばれていた。
 
 9日はリフレッシュに栂池高原でスキーを楽しみ、夜は連泊となった宿から食事のために街中に出かける。歩いている人の大多数がオーストラリア人だと、アメリカ生活の長い友人が訛を聞きながら説明してくれた。店には英語が上手い従業員も多く、留学のような環境だと感心し、国際化の進展を実感させられた。
 
 10日は新設の八方尾根スキー場に行き、午後2時前に切り上げて温泉に入って、3ヶ月前の震災の現場を見に行く。多くの家屋が傾いている状況だったがカメラを向けることがはばかれ、写真を撮らずに帰宅した。夜には少しHPの更新作業をしようかと考えたが、結構疲れが残り机に向かうことなく寝てしまった。
 
 
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2015年2月中旬の記録