65.10月中旬の活動記録
 11日は午前中に視察の荷物を片づけ、メールの処理等を行ってから市民会館に移動し「ヒューマンフェスタ in木更津」に参加する。
 この日に講演された横田早紀江さんの娘のめぐみさんは私と同じ昭和39年の生まれなので時代背景を重ねて考える事が出来、13歳から現在までの自分の軌跡を考えながら何て長い時間を北朝鮮という隔離空間で過ごしたのかと辛くなり、圧力を高めるよう地域から声を挙げねばと思った。
 講演会が終了後に金田BTまで走り婚約者の到着を待つ。式まで2ヶ月に成り決めねばならないことが多いので3連休は木更津で過ごす事になるのである。写楽館や東京インテリア家具を見に行き、アウトレットモールで食事して帰宅した。
 
 12日は彼女を母に預け、8時半に富来田公民館に集合し、東京都千代田区青少年委員会の自然観察会に市民まちづくり塾として協力する。
 
 公民館からイベント中のコスモスロードを通り、いっせんぼくまでの往復をしながら水の循環や植物・農業のこと等を話して子どもたちの学習のお手伝いをする。公民館まで帰った所で私は先に帰らせてもらう。
 スーツに着替えてアカデミアパークに移動し、午後2時から全国訪問ボランティアナースの会の支部となる「キャンナス木更津」の発会式に出席する。他には高橋・田中の両市議が参加していた。発足式の終了後には懇親会も案内されていたが次の打合せが有り中座した。
 午後3時半からはホテルオークラで彼女と合流し、披露宴に向けた打合せを始める。日没後に打合せが終わり、帰宅後は夜遅くまで課題の整理を行った。
 
 13日は台風の接近が予想される中、ビデオ作成をお願いしている友人と自宅で打合せを行う。その後は昨日の課題を元に再度オークラで打合せを行い、そこのスタジオに居る友人と打合せを行ったりしている内に1日が終わってしまった。台風接近の中で各自の宿題を整理した。
 
 14日は東京に通勤する彼女を金田BTまで送り、それから自宅に戻りHPを若干更新する。10時を過ぎたら市役所に行き議長と供にイオンモール木更津の竣工式に出席する。八剱八幡神社の八剱宮司による厳粛な式典の後は直会に出席して関係者の挨拶を聞く。各社の努力には頭が下がる思いであった。
 午後から市役所に戻り今後の日程調整や、16日の全員協議会に追加される議案等の対応会議を行う。午後5時を回って最後の打合せが続いていたが、町内で通夜があるため中座して帰宅し、礼服に着替えて近くの葬儀場に入る。江川光明寺の宮崎住職による法話の後、酒が好きな故人の為に近所の人達で献杯を捧げた。嬉しいことと悲しいことが一度に訪れたような大変な日であった。
 
 15日は午前中に溜まっていたHPの更新を行い、午後からは市役所に行って執務を行いながら各種の調整を済ませる。故障した携帯電話の対応などを済ませて帰宅し、再度HPの更新作業に取りかかったが、作業が終わったのは翌朝が近い時間となっていた。
 
 16日は議員全員協議会の前に開催される教育民生常任委員会を聴きに行く。議題は「中郷小学校の今後に関する意向調査の結果について」であった。結構考えさせられる衝撃の数値であったが、地元提示前なので、ここでは記載を控えることにする。次いで議員全員協議会に出席し、下記の議題についての報告を受ける。
番号 内容(件名とは異なる) 関係部
No.1 平成27年度 経営方針について 企画
No.2 平成27年度 予算編成方針について 財務
No.3 中郷小学校の今後に関する意向調査の結果 教育
 経営方針を良く聞くと、来年度には組織改定が必要になると思われる項目もある。渡辺市政の実施に向けて具体的に動き始めてきたなと、期待が大きくなる。その後、正副議長と議会運営委員会及び庁舎整備特別委員会の正副委員長の6人と担当課が集まり、アクアビルに移転予定の議会機能についてどの様に取り扱うかを協議する。
 会議終了は正午を回っていたが、昨日からソフトオープンしているイオンモールに会派の議員達と食事を取りに行く。食後には新しい施設の状況を確認して回り解散。その後は壊れた携帯の修理などで市内を回り、夕方からは農協岩根支店で増資会議に出席し、夜8時過ぎに大阪から訪ねてきた友人と杯を交わした。
 
 17日は午前中に私的な仕事を片づけ、午後からは市内で各種の用事を済ませてから市役所に行き執務を住ませて帰宅。夕方からHPの更新を行っていたが、イオンモールで夕食にしたいという家族の要望を受けて連日のイオンに行く。夜7時過ぎで駐車場はほぼ満車、中には多くの人が溢れていた。翌日のグランドオープンは大変だろうと考えていた。
 
 18日はアクアラインマラソンの前日である。午前中にHPの更新を終えてから市内で行われる様々なイベントの梯子を始める。
 
 書くと長くなるので、詳しいことは
最近思う事の方に記載する。
 
 19日は神社の役員として境内の草刈が計画されていたが、アクアラインマラソン当日なのでお許しをいただき、朝からイベントに参加する。左の写真は平野市議がスタート前の応援席を通り過ぎる時の様子である。翌日に何もなければ余韻を楽しむこともできたが、視察が入っているので涙を飲んだ。
 
 20日から議会運営委員会の視察が始まる。7:45に木更津駅西口バス停に集合しアクアラインバスで東京駅に付き郡山を経由して会津若松市役所に入る。昭和12年6月竣工の歴史有る市役所で会津若松市の取り組む議会改革の話を聞く。
1.福島県会津若松市
 市制施行 明治32年4月1日
 人口 122,866人(平成26年4月1日現在※)
 面積 383.03km2
 平成26年度一般会計予算額 459億45百万円
 財政力指数 0.582 (平成24年度)
 視察項目 議会改革について
 我らの視察に先立ち戸川議長から挨拶を戴き、調査は議会運営委員会の小林議員と議会制度検討委員会の横山議員が対応していただいた。
 会津若松市議会は平成19年の統一地方選挙後の臨時議会で選出された議長が「市民の負託に応えうる合議体たる議会づくりを目指して」という基本理念の元に議会改革を推進することになった。外部委員を交えた議会制度検討委員会を設置し、議会基本条例と議員政治倫理条例を同時に制定すべく検討を進め、平成20年6月議会で可決した。この基本条例の特徴は議会の議決責任を遡って考えている点(バックキャスト)にある。具体的には@議決責任の前に説明責任があり、Aその前に議員間の討議があり、Bその前に問題分析があり、Cその前に課題設定があり、D根底には問題発見がある、という構造である。そこで問題発見と課題設定のために「広報公聴委員会」を設け、市民との意見交換を通じて課題の抽出を行おうとしている。つまり市民の多様な意見を多様な背景を持った議員が受け止めて議論することで、問題を明らかにして政策形成しようとしているのである。具体的には上水道が供給されていない地区に対する対策を検討するための「湊地区水資源に係る検討委員会」を議会内に設置するなど、執行部から一方的に施策を出され、その審議をするだけの議会から脱皮するという姿勢が見られる。
 市民の積極的な議会参加を目的として左の写真のような手引き書を作成して全戸配布すると供に市内15会場で年に2回の意見交換会を開催している。最初は議会に対する批判が続いたが、最近は建設的意見も出てきていると聞く。それでも参加者は15会場で延べ228人と、決して多くない。
 議会運営上の特徴として、議会質問の1ヶ月前に質問の要旨を提出させ重複を避けると供に質問の質を高めるためのアドバイスを行う事もあると聞いた。木更津でも参考にしたい制度ではある。他には予算と決算は議長を除く全議員からなる常任委員会で審査するなど、運営の手法は木更津と異なる部分が多い。なお会津若松市の議員定数は30人で、多様な意見を反映するため定数削減は考えていないし、市民に理解してもらうように活動していくと力強く語っていた。
 
 視察の質疑を終えて議場を見学させていただく。築77年となる議場は風格がありロケ地に使えそうであったが特に使用しては居ないようだ。速記者の席が残っていたので名残かと思って聞いたところ、今でも速記を取っているとのことである。その辺は改革の対象としないのか、文化の継承なのか微妙である。
 市役所の階段を下りながら会津若松市の人口に福島原発から避難している大熊町の人は入っているのかと聞くと、住民票が移動していないので含まれないとの事である。住民にカウントされない避難者が4千人程度も有る中で、市政運営は大変だろうと思いながら会津若松市内に有るホテルに移動した。
 
 
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2014年10月下旬の記録