27.9月下旬の活動記録
 21日は午前中に君津中央病院の耳鼻科で鼻の粘膜の処置。流血している部分を電気的に焼く処置だが、自分の肉が焼ける臭いを嗅ぐのも妙な感覚である。中央病院が新しくなってだいぶ時間が経っているが、これまで見舞いで来たことはあっても患者になったことがなかったので色々と目新しくて面白くもあった。
 昼から市役所に行き議会広報の打合せを行い、その後木更津駅に行き来月6日に巌根駅快速停車の地元中間説明会を行うことを伝え、矢那川の彼岸花の状況を確認して帰宅した。
 
 22日は午前中から市役所で打合せを行い、午後1時から議会広報委員会の編集会議を開催する。レイアウトの打合せなので30分程度で終わると考えていたが45分を費やし、2時から申し込んでいた「十九の会」の研修がその分だけ遅れることになってしまった。
 私と鶴岡議員の2台の車に分乗し、館山道を竹岡ICまで走り、天羽養護老人ホームで市町村圏事務組合の研修を開始する。老朽化している建物を来年度から指定管理委託すると聞いているが、新人議員は現状を把握していないので、知識を補うための視察である。概要の説明を受けた後、施設の状況を見て回った。
 質疑応答は市町村圏事務組合に戻って一括で行うことにして、木更津の公設市場の片隅にある市町村圏事務組合の事務所まで移動する。事務組合は移動で高速代を使用することも倹約するため、国道で木更津に帰ることになった。事務所に着き、会議室で業務内容の説明を受け、質疑応答を行い5時過ぎまで研修を行った。学校にビデオ等を年間に4百本貸し出すために常勤職員を2名配置するなど、効率的な事務か疑問の残る事にも多く気づき、今後の検討課題と思うところである。
 
 23日は朝から雨の中、9:02巌根駅発の各駅列車に乗り、友人の結婚式及び披露宴に出席する。一緒に冬の南アルプスの山小屋で酒を酌み交わした懐かしい恩師も居り、昔話に花が咲き、また山で飲もうと約束して帰宅した。実は例年誘われていても3月議会と日程が重なって辞退しているた事を忘れていた。
 
 24日は午前中から仕事の合間にHPの更新を行う。午後から市役所に行き議会だよりの打合せや諸般の手続きをしてくる。市民会館ではリハーサルなどが進んでいるようだ。自宅に帰ると中国船長釈放のニュースが飛び込む。政治はかくも情けない事が有るのかと気が滅入る。
 
 25日は事務処理に追われていたが、台風が通過し天気が回復したので午後から写真を撮りに出かける。久しぶりに見下ろす千束台の現場は進捗が明らかであるがまだ残事業も多そうだ。夕方からは町内の常会に出席し月夜の中を帰ってきた。
 
 26日より千葉国体の相撲大会が木更津市で開催される。開会式から列席するが、職員や多くの高校生が機敏に働いており感心する。
 
 初日は少年の部で、高校生の戦いを見続ける。相撲経験者が不在と思われる県も有り、力量の差が明らかな試合も多かった。国技とは言えサッカーや野球のようにメジャーでなく、急遽応援出場した選手も多いのだろう。列席した議員も気が付くと出身県の応援に回っているなど、国体は県民意識を高めるのには良いシステムなのだろう。
 
 27日は朝から雨の中、内業を進める。午後3時過ぎに一段落したのでHPの更新作業を行い、その後所用で市原に出かける。国体2日目であるが、この日は臨席しなかった。
 
 28日は朝のうちに仕事を片づけ、11時から国体を見に行く。成年の個人戦は流石に圧巻である。配点は成年に比べ少年が圧倒的に有利で、少年の部で4位に成った千葉県は成年の部では入賞しなかったが総合成績は5位であった。ちなみに総合優勝は石川県である。閉会セレモニーも全て臨席して会場を後にし、午後は市役所で打合せを行った後、夜は市民まちづくり塾の会議を行った。
  
 29日は議会最終日である。市長部局提案の案件が全て採択され、陳情案件は4件中1件が部分的に採択され、それに伴う議員発議案が提出可決され9月定例議会は終了した。終了と同時に議会全員協議会が開催され、下記3件の報告があった。
No 内容 関係部
1 平成23年度経営方針について 企画
2 住基カード不正取得事件の容疑者起訴について 市民
3 市街化調整区における土地利用方針の策定について 都市整備
 経営方針は議員への報告という形でなく、討議の場を設けて意見の集約を計ればよいと思うので、そのような手法を考えていきたい。3番目の調整区域の土地利用については建設常任委員会協議会で多くの意見を出させて貰ったことが数多く反映されている新バージョンの資料になっていたので、委員会という場が有効に働いていると満足した。
 全員協議会が正午頃に終わり午後からは基地対策特別委員会協議会が開催された。議題は下記の3件である。
No 内容 関係部
1 木更津駐屯地における米軍提供財産について 企画
2 木更津飛行場に係る防音区域指定について 環境
3 中野畑沢線の整備に係る自衛隊施設用地について 都市整備
 特別委員会終了後に広報委員会編集会議を設営していたので30分の協議で終わるつもりで居た。しかし多くの議論が続出し、2時間近い協議時間となってしまった。広報委員の内4人が基地対策特別委員会にも所属しているので良いが、他の4人の委員のうち3人が他の用事と調整が付かず出席できなくなってしまった。昼食を食べながら会議をすれば良かったと悔やんでも後の祭りである。
 広報委員会編集会議を終了して4時近かったため、現地視察を申し込んでいた案件を翌週に先送りとし、幾つかの課と打合せを行った後に帰宅し、夜には9月議会の慰労を会派のメンバーで実施した。
 
 30日は朝から雨の中、数多くの団体から派遣されてきた、総勢百名を越える人達と力を合わせて小櫃堰下流に溜まっている流竹木の清掃活動を行った。皆合羽を着てフードを被り、誰か解りにくい状況になっているのでバケツリレー式にゴミを手渡した相手が副市長だったりして驚いたりしながら作業を終えた。
 午後3時に帰宅し、濡れた服を着替えて市内で所用を済ませ、この日の記録を斉藤議員に渡し、HPの更新を行った後、山道具を車に積み、知人の到着を待って夜から山に出かけた。
 
 
 →
2010年10月上旬の記録