19.7月上旬の活動記録
 1日は市役所に行き各種打合せを行った後、港まつり資金部の会合に出席する。協賛金を集めて回るのは、いつの間にか議会と青年会議所と商工会議所青年部が担当することになっており、今月中旬に回ることになる。なお、その会合の中で、かずさマジックが東京ドームで8月末から行われる都市対抗野球大会に出場する事を知って喜び、花火大会の有料観覧席が港湾管理者の管理責任を主張され大幅に経る可能性があることを知って悲しんできた。
 市役所の帰りに老朽化が問題となる桟橋を見てきたが、確かに舗装の剥がれ等も有るが機能上の問題は感じられない。多くの死傷者が出た明石の花火大会の影響で、少しでも危険性があるものは制限が厳しくなっている。程度の問題だと思うが、最近は公的な側が裁判で負けることが多いため悩ましい話である。
 
 2日は議会終了後の書類整理や、買い物などで出かける。夕方からは友人と暑気払いを行うなど、議会終了後ののんびりした時間を過ごす。
 
 3日・4日の週末には大きな行事が入っていなかったので天気予報が良ければ山でも行こうと思っていたが、予報では生憎の雨。書類整理や大掃除、読書や撮溜た番組の視聴などを行う計画を実行していると予想に反して晴れる。こんなものだと暑さに夏ばてしかけながら思う。
 
 4日の日曜は地元で所用を済ませ、夕方からは参議院選挙の千葉県選挙区の「しいな一保」候補と比例選挙区の「うすい正人」候補の合同演説会に出席する。両名とも千葉県議会議員の経験があり、千葉県事情には精通している。最後のシュプレヒコールを声の大きさを買われ、私が行った。
 
 5日は午前中に地元の所用を片づけ視察の準備を行い、昼から市役所に行き、夕方からは大阪から来る知人を迎えに木更津駅東口まで出かける。祭礼が近く街中では囃子が流れていた。受付テントの横には自民党比例区の立候補者一覧が掲示されていたが、この選挙制度では知らない候補者が多く発生する事になり、本当にそれでよいのかと思う。
 
 知人とは街中で食事を兼ねながら打合せを行う。本当はゆっくり飲みたかった所であるが、明日朝が早いので名残惜しく解散する。
 
 6日の朝6時半に木更津駅に行き、若干の選挙活動の後、7時半より合併調査対策特別委員会の行政視察に出かける。往路はJRの特急と新幹線を乗り継ぎ、水沢江刺駅で降りる。視察先はこの水沢市と江刺市等が合併して4年強が経過した奥州市である。
1.岩手県奥州市
 市制施行 平成18年2月20日
 人口 126,814人(平成22年3月31日現在)
 面積 993.35km2
 平成22年度一般会計予算額 507億86百万円
 財政力指数 0.43 (平成20年度)
 視察項目 市町村合併に関する諸問題について
 平成の大合併の多くは中心都市に周辺の町村が吸収されると言う形で成り立ってきたが、木更津市が合併により行政の効率化と高度な行政サービスを目指すので有れば、財政力も高く人口も多い都市(君津市・富津市・袖ヶ浦市)と合併協議を開始することになる。既に市制施行を行った都市は多くの場合独立心が強いものであるが、今回の視察先の奥州市は水沢市(昭和29年市制施行)と江刺市(昭和33年市制施行)という50年近い歴史を持つ2市とブランド牛が有名な前沢町に胆沢町、衣川村を加えた5市町村が合併して誕生した都市である。今後は当初協議に加わっていた金ヶ崎町と、世界遺産登録を目指す平泉町も加わえた再拡大のイメージが有るようだが具体化には至っていないようだ。
 合併の流れは特例法の期日に間に合わせるように急いだようだが、中心都市の水沢市に赤字体質となる市営病院・公設競馬・土地開発公社などの問題があってもそれを最初から情報開示することで乗り越え、特に反対運動は起きなかったという事である。ただし合併後の市長・副市長の人事などは若干地域の確執を残しているようだ。
 それぞれの役場を現在も総合支所として残しているので顕著な合理化効果が出ていない事や、農協は江刺・商工会は前沢がまだ一本化に加わらない事、介護保険料などは従前の地区別に差がある事など合併後4年を過ぎても調整中の事項も多くあるが、合併後に発生した宮城岩手内陸地震の対応もスケールメリットで確実に対応できたことや、平泉の世界遺産登録に向けた専門組織を設立できたことなど、合併で高い効果を上げているようである。なお、ゴミ処理・消防・水道は合併前から広域事業対応していたようだ。
 面積が木更津の8倍近い広大な行政区域となるため、旧自治体別に10年間を限りに地域協議会を設けると供に、30箇所の公民館等を地区センターに昇格させると供に、0.4%条例を制定することで市民活動の支援を行っているという。これは合併の如何にも関わらず本市でも導入したい制度である。視察帰りに駅近くの地区センターも見せていただいた。
 何を聞いても適切な回答をする奥州市の議会事務局員の優秀さに感動しながら視察を終え、再度新幹線に乗って郡山市まで移動し、ゲリラ豪雨で駅前商店街が水没した街で泊まった。
 
 7日は朝9時にホテルを出て郡山市議会のバスで市役所に向かった。
2.福島県郡山市
 市制施行 大正13年9月1日市制施行、昭和40年8月1日合併完了
 人口 334,189人(平成22年4月1日現在)
 面積 757.06km2
 平成22年度一般会計予算額 994億6千万円
 財政力指数 0.789 (平成20年度)
 視察項目 まちづくり・中核市に係る課題等について
 かずさ四市(木更津市・君津市・富津市・袖ヶ浦市)が合併した場合に面積と人口がほぼ一緒になる都市として、郡山市は8年前の
署名活動を展開している頃から気になっていた都市である。
 東北第2の商業都市として発展し、平成9年4月1日に秋田市と供に東北で最初の中核市となり、現在に至っている。
 郡山市のまちづくりも、当初は区画整理で面的拡大を行ってきたが、現在ではそれぞれの行政中心地区に集約し、それをネットワークするようなコンパクトなまちづくりを目指しているという事であった。事実、駅前では何ヶ所かで再開発事業が進み、先進事例の駅前ビルであるビッグアイには県立高校や市立科学館なども入り、活性化を維持していた。
 中核市として保健所の開設を行い、特別会計は財産区を含み32会計、企業会計がその他に4会計も有る状況なのに、今年度当初の職員数はたった2,054人である。消防が他市と広域で行っているため、その分だけ少ない。ただ、職員数を一極集中によって少なくしているのではなく、それぞれの地域が独自のまちづくりを進めるような支援はしっかりしている。さらには、こども総合支援センター等を開設するなど独自事業も新たに展開しているのである。この合理的で積極的な運営には驚かされる。
 中核市になることで保健所設置の義務が生じるが、財政上も交付税算定式が変わり、郡山市の規模では年間約25億円が加算されるようだ。そのためかは明確に解らないが、本市の2.6倍の人口、4.4倍の農業産出額、4.3倍の製造品出荷額、5.5倍の商品販売額を誇りながら財政力指数は本市より少ない値である。逆に言えば多くの財産がある上に国の手厚い支援がもらえているという事で、羨ましくもあり、当該地域でも合併と中核市を目指したいものだと気持ちを深くしてきた。
 視察後、郡山市議会事務局の配慮で駅前ビルのビッグアイ高層部に入居している科学館の視察を加える。子ども達に科学に対する興味を持たせる素晴らしい施設であることは解るが、30万都市でこれを維持するのは厳しいだろうと思う。改めて郡山市の底力の片鱗を見たような気がした。
 午後2時の新幹線で木更津に向かう。月末にも会派の視察で東北新幹線に乗るのだと思いながら地元に帰り、解散後は数名で意見交換の砂払いを行った。駅前では参議院選挙活動が行われていた。
 
 8日は早朝に起床して選挙活動を手伝い、10時から議会広報委員会の編集会議を行う。会議終了後、市役所内で打合せを行った後、所用で観光協会に向かった。先月末に駅前ロータリーで上総高校の生徒達が作成した花のチーバくんも綺麗な姿を見せていた。
 
 9日も早朝から選挙活動を行い、その後市内や市役所で打合せを行った後、午後から視察の整理やHPの更新を行い、夕方から町内会の会合を自宅で行い、お盆の対応や見舞いの件などを飲みながら話し合う。
 
 10日は万石区による三井アウトレットパーク入間の視察に同行し、勉強を深めて来たが、詳細は
『思うこと』に記載する。車内では金田事業の進捗報告を私がしたが、市民には情報が伝わっていないと実感した。
 視察を終え、帰路の途中で深大寺に立ち寄る。朝ドラ『ゲゲゲの女房』の影響か、山門前にある鬼太郎茶屋は大変な賑わいであった。このように「深大寺蕎麦」というブランドで多くのお客が来る姿と、蕎麦屋が軒を連ねる風景を見ると、バカ貝は何年で浸透出来るかと思う所である。
 岩根に帰って夕方から反省会を行い、この日は終了する。
 
 
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2010年7月中旬の記録