34.2月前半の活動記録
 4日は総務常任委員会が開催されたので、職員給与の人事院勧告の件や職員不祥事の詳細を知るために傍聴出席した。
 16個人と1法人から20万円から600万円、合計2500万円の市税の滞納金を着服した不祥事は
@3枚綴りの領収書ではなく電算処理した申告書を再発行して領収書の替わりとして使用したので控えが残らなかった。
A領収印の管理が性善説に基づく(悪用などは予想しない)不十分なものであった。
B全額着服ではなく、一部を納税して分割納税手続きを取ったことにより市民には催促が届かない状況として気づくのを遅くさせた。
C課を移動した後も納税者からの指名で収集を担当させ続けた。
などの問題があったことが説明された。
 本市の場合、税金滞納が約25000件も有るが、その全てが滞納なのか、社会保険庁と同様に本人は納税しながら市に届いていないのか、この様な局面になったら性悪説に立って立証することが重要ではないかと思っていたところ高橋委員長から傍聴席の私にも質問の機会を与えていただいたのでその旨を指摘し、対応を約束してもらった。
 午後からは除雪で苦労している友人の会社を手伝いに行く。現場への移動の途中で前日の積雪状況を知りたくなり、特に積雪が多いと思われる鹿野山に行ったら通行止めの区間もあり、タイヤショベルが除雪活動中で、殆ど雪国の風景であった。こんな道はタスキを掛けてママチャリでは走れない。去年の選挙戦が暖冬で良かったと心から思う。
 
 5日は建設常任委員会に出席する。議題は下記の4点である。
No 項目 担当課 備考
1 安心歩行エリア交通安全対策事業 土木課 報告のみ
2 請西千束台特定土地区画整理事業 都市整備課  
3 木更津市都市計画マスタープラン案 都市整備課 報告のみ
4 金田西特定土地区画整理事業 金田事業推進課  
 千束台は業務代行契約を行った森本組が現場から引き上げるという、契約不履行をしたので、その契約を打ち切り裁判の問題となっている。
 業務代行とは区画整理事業が完成するまでの業務を組合に代わって行い、その費用を保留地で受け取るのが一般的なので、業務代行が決まった段階で組合事業の見通しは明るかったのであるがまた不透明になった。因みに羽鳥野の業務代行であった新日鐵等は相場よりかなり高額で保留地を引き取る事で組合事業を終了させたのである。
 契約不履行となった森本組が約26億円を建て替えており、それ以外でも残事業費が45億円と想定されているので保留地処分が困難な場合は誰が負担するか、政治問題となりそうな件である。
 金田西では保留地処分が2.7万円/uになってしまった場合は市の負担が約45億円、さらに金田東西の下水道整備などの公共事業整備費が約100億円必要となるなど、300億円台の本市予算と比較しても巨額の支出が公表された。この概要は12月8日に情報入手をしていたことであるが、情報の精度が低かったので常任委員会で公表されるまでHPでも記載しなかったが大きな政治問題である事は間違いない。
 金田西区画整理事業を中断できない理由、減歩率が40%と金田東と同じではあるが千束台の半分程度と低い事の見直し可能性の是非、今後の資金計画等について質問してきたので21日の議員全員協議会で報告があるものと思いたい。
 この日は不祥事の詳細な説明はなかった。調査は進行中であるが、議会人として市政の監視が甘かったことに対して、市民の皆様にお詫びします。これに対して私の役割の一つは情報開示と思うのだが、刑事事件になる前には個人情報に関する報告が出来無いのがもどかしい。
 昼休みには昨日地元で投棄されていたゴミを見に行く。この日の内に市役所、土地管理者である防衛省、警察で立会い投棄者の確定作業を行ったようだ。9月議会で質問した回答ではまだ罰則を適用した事例がないようだが毅然とした態度を示す事は重要と思うのである。
 
 6日は朝から書類仕事を行い、夜には雪がちらつき始めた中、HPをもっと見やすくするためにマイナーチェンジをしたいと思い、共同制作者の友人と打合せを行う。この様に日常の文章を書いたり写真を載せたりする事は私でも出来るが、デザインの更新はセンスのある能力者には敵わない。持つべきものは友人である。
 
 7日は一日行事の予定があり、仕事を休んだが前日中に午前中の予定が無くなる事が解った。そこで、急遽雪の富士を見に行こうと思い午前5時に家を出て中央高速で富士吉田まで往復して午後2時に帰ってきた。予想通り綺麗ではあったが、地球温暖化防止に逆行する行動を取ってしまったと反省。
 それはさておき、アクアラインの開通で山梨は午前中で往復できる所になった事は素晴らしいことである。木更津は半島の奥地でなく日本の何処にでも近いと言うことを知らせることは重要ではないかと思う。
 
 8日は夕方まで仕事をした後、打合せで東京に出る。行きは金田からの17:22の鴨川発のバスに乗った。乗車率は50%という所。東京八重洲口到着は時刻表の18:02より24分も遅れた。
 帰りは23:45発の君津行き夜行バスに乗るため八重洲口に向かった。料金が倍になるのに10名を越える行列が出来ているという事は、それなりの需要はあるようだ。帰りは渋滞もなくアクアラインを渡る。しかし金田に着いてもタクシーは無く、午前1時の暗い夜道を歩いて帰った。
 
 9日は午後3時まで仕事の後、16時にホテル八宝苑で行われた四市の議員の集まりである賢友会に出席して「ケーブルテレビが果たす市民生活への役割」というテーマでJCOM千葉の藤浪取締役相談役の講演を聴く。その後18時に4階で開催される地元の集まりに出なければならなかったが、賢友会の懇親会は17時半開始となったので挨拶の時間ぐらい取れるだろうと出席した。その結果、挨拶や報告事項で乾杯が17:56分となり、乾杯と同時に退席し階段を駆け上がる羽目になった。
 さらに18時から巌根の松葉寿司で開催されているジェスパルの総会後の懇親会にも出席するため、4階の会合は30分で切り上げてタクシーに乗り込むことになる。重なる日は慌ただしい。
 ジェスパルの方では地元の多くの方々と意見交換を行い、教育の問題などについて深く意見交換を行っている内に夜11時を回ってしまった。この日も小雨の暗い夜道を歩いて帰ることになる。
 
 10日は確定申告等の書類整理後、午後4時から万石区と西山区の合同新年会に出席する。昨日と同じように地元の方々と意見交換を行い、2次会まで移動して、この日も11時となってしまった。その上、店の人が君津市愛宕出身と言うことで、翌日飲む予定の『飛鶴』の社長を連れてくる約束までしてしまうので4日連続で遅くなることが確定した。なおこの日は有り難いことに店の人に自宅まで送ってもらったので夜道を歩いて帰るのは2日間連続で終了した。
 
 11日は建国記念日であるが年度末と言うこともあり午前中は現場仕事を済ませてくる。帰り道に築地の商業施設の周辺状況を見てくると、臨港道路の拡幅工事が順調に進んでいるようだ。
 午後から行政視察の準備を済ませた後、夕方から祇園で飛鶴の社長と飲み会となる。流石に連続なので2軒で終わりにし、多少早めの10時には帰宅した・・と思う。
 
 12日の朝7時40分に木更津駅に集合し、会派による2泊3日の行政視察に出発する。初日はイオン鹿児島SCに行き、築地に出来るイオンの事前把握を行う。鹿児島もかなり大きく見えたのだが敷地面積は鹿児島約111千uに対し木更津255千u、延床面積は鹿児島約122千uに対し木更津129千uと近いが鹿児島は立体駐車場が面積の多くを占めて店舗面積では66千uだという事を考えると、木更津での開発規模が如何に巨大化と思う。鹿児島では170の専門店(内42が地元)で1700名、ジャスコ本体で550名の雇用を生んでいるので、合計2250名の新規雇用は大きいインパクトである。公共交通としてバスが11路線乗り入れ、日曜には約5万人、年間1千万人の来客が有る事も聞く。地元貢献計画を立て、食品も地元産品を2割以上入れ、環境に配慮した店舗造りを行うなど、感心させられる事も多い。
 イオンからの情報だけでは一面的なので、夕方には鹿児島商工会議所で影響や中心市街地の状況を聞く。イオンだけでなく老舗の山形屋、駅ビルであるアミュプラザ、郊外店のダイエーやスクエアモールなど多くの大規模店を抱えながら、天文館地区などの中心市街地の活性化が進んでいる事の説明を受ける。路面電車が走っているとは言え、住居の郊外化が進み、駐車場の少ない中心市街は苦境になっているのでは、と説明を聞きながら思っていた。しかし、視察後鹿児島の街を歩くと、夜になっても人混みが切れない。人口は60万人と木更津の5倍であるが賑わいは桁が違うほど引き離されている。
 
 13日は朝から九州新幹線で新八代に移動し、そこから貸切小型バスで天草市役所を目指す。天草市は2市8町の合併で平成18年に誕生した自治体であり、旧町の活性化が図れるよう地区振興会とそれを束ねるまちづくり協議会制度が活発に動いているので、その視察である。
 51も有る振興会の事業には合計7千万円近い補助金が出され各地区の公民館も事務局として補佐をする。しかしそれだけでは活動費が不足するので地区で名産品を作ったり援助会員を集めたりして賑やかな地域造りが進んでいるのが良く解った。自主財源比率も低く、高齢化も進んでいる天草市であるが知恵で街の活性化は行えるという良い事例である。
 しかしながら中心部の人口が少ないことは如何ともしがたく、木更津に近い10万近い人口を持ちながら旧本渡市街地の寂れ方はかなりのものであった。
 
 14日は帰りの行程である。天草から熊本空港までも2時間以上掛かる行程をバスで移動し、夕方に木更津に到着する。帰宅したところ自宅にFAXで職員不祥事の処分が届いていた。
 市民部保険年金課副主幹の税金着服の処分は、市長・副市長は減給20%を2ヶ月、当時の企画政策部長、現在の財務部長、当時の納税課長、現納税課長は減給10%を1ヶ月、その他副課長や直属の上司にも戒告や訓告、注意などの処分を行うというものであった。今後の綱紀粛正や事件への対応を通じて市民からの信頼を回復できるよう、議会も頑張らねば、と思った。視察前からも厳しい日程が続いていたのでこの日は静かに休憩する。
 
 15日は午前中仕事の後、夕方から県の自治会館で千葉県地方議員連盟等によって開催された上田埼玉県知事の講演会を聞いてくる。200人以上の観衆が居るが、一緒に行った鶴岡議員以外の近隣市議員の姿が見あたらない。話の内容は、さすが改革派知事と言うだけ有る濃いものであった。
 特に『答えを出せるような努力をさせれば、役人は優秀なので答えは必ず出る。ただやっているフリには騙されないように』という所が妙に共感を持てた。目の前のことを解決する『虫の目』、広い選択の視野を持つ『鳥の目』、潮流を見極める『魚の目』の3つの目を持つように心がけようと思った。
 その後、鶴岡議員と千葉で軽く飲んでいると木更津からの呼び出しがあり、一緒に桜井まで移動して生演奏を聴くことになり、この日も夜遅い日々に逆戻りである。
 
 16日は積もった資料の整理や溜まったHPの更新に追われる。今回の視察や昨夜の講演会にデジカメを忘れたので、斉藤議員や鶴岡議員の撮影したデータをもらい、体裁を整える。
 夜は今年最後の新年会として、青年会議所時代の旧友で飲む。翌日の予定も急遽無くなりのんびりと飲む。12月27日と同じ状況である。2次会では職員の税金着服について質問を受けので関係者の処分内容や、どの様に巧妙な手段で起きた結果なのかを説明したところ、今回の処分が少ないと言うものは居なかった。しかし、市民の中にも色々意見が有るだろうから今後の情報開示がより必要だと感じたものである。
 
 
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2008年2月後半の記録