| 沖縄そしてイラン | |
| 2025/06/24記 | |
| 昨日は沖縄に上陸した米軍に対する帝国陸海軍の組織的な戦いが終わってから80年目の日であり「沖縄慰霊の日」と呼ばれている。沖縄戦に従軍した「ひめゆり部隊」の大半は組織的戦闘が終結した後で戦死している。戦闘の継続が出来なくなった段階で現地の部隊は一時的な休戦を求め、少なくとも民間人を既に米軍が占領した前線の後方に移して保護を願うべきだったと思うが、当時は捕虜になる事の抵抗感が大きく、その様な対応は現実的には無理だったと思われる。民間人の死者数は当時の県民の2割を超える12万人以上と言われるが家族や集落が全滅した事態も多くて実態把握できていないようだ。 沖縄戦の終盤に本土に向けて沖縄県民の貢献を電信した大田 實少将(自決後に中将に昇進)は千葉県長生郡長柄町の出身であり、海軍の沖縄根拠地隊司令官を務めた。後世の人たちに沖縄県民の犠牲を配慮するようにとした「沖縄県民斯ク戦ヘリ」はよく耳にするが、全文を探してみたのでNHKの現代語訳を引用する。 |
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| 昭和20年6月6日 20時16分 次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。 沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県にはすでに通信する力はなく、32軍(沖縄守備軍)司令部もまた通信する力がないと認められますので、私は、県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことができないので、代わって緊急にお知らせいたします。 沖縄に敵の攻撃が始って以来、陸海軍とも防衛のための戦闘に専念し、県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。 しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、防弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が行き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。 看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。 これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら、ついに(不明)報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。 沖縄の実績は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。 沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。 |
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| 改めて沖縄戦の時系列を整理してみると次の通りである。 1945年 3月26日 米軍が離島の慶良間諸島に上陸 4月01日 沖縄本島へ上陸開始 4月07日 沖縄に向かっていた戦艦大和が沈没 5月08日 ナチスドイツ無条件降伏 5月27日 首里司令部陥落 6月06日 太田少将上記電報を打電 6月13日 太田少将自決 6月23日 牛島陸軍中将(沖縄守備隊司令官)自決 8月06日 広島に原爆投下 8月08日 日ソ中立条約を破棄しソ連参戦 8月09日 長崎に原爆投下 8月15日 日本が無条件降伏 9月07日 沖縄の軍隊が降伏し戦闘が終結 1972年 5月15日 沖縄県日本復帰 戦艦大和が沈んで艦隊が実質的に消滅し、ドイツが降伏して欧州戦線から全ての連合国が日本に向かうと想像され、首里の司令部が陥落して日本本土での大きな戦いが一区切りした5月末に日本が降伏していれば沖縄県民の死者数も4万人ほどで済んでいたし、原爆の投下も無く千島列島も日本の領土であり続けていた事であろう。 歴史に「もしも」は許されないが、沖縄戦を含む第二次大戦で亡くならなくて済んだ多くの命を防げたことを考えることが多くの犠牲者のためにすべきことだと思うし、何より戦争より外交で平和を維持することの大切さを学び、日本の軍隊(自衛隊)は第二次大戦後に戦闘で他国の人民を殺傷したことの無い組織として存続していることを誇りに思いたい。 その一方で太田中将の電報のように「後世特別の配慮」が出来ているかと自問する。沖縄特措法で他の自治体では確保できないような国費を補填する程度では配慮が足りないだろう。今でも離婚率や失業率が高く、大学進学率や平均所得が低い沖縄を単に離島だからと考えてよいとは思えない。 せめて政治的な争点になっている基地負担の一部を受け取るためオスプレイの定期機体整備を木更津市が受け入れているが、根本的には返還交渉の途上にある那覇港湾や牧港補給施設などの返還を急ぐべきであるし、辺野古の工事に伴う反対運動が続いているのは知っているが沖縄県南部の過密化の解消と地域の活性化のため普天間の移設は進めるべきであると思う。 一方で沖縄県北部の広大な北部訓練場は一部返還されたものの山間部であり、更に米軍におる環境汚染の除去の懸念などで活用は進んでいない。北部開発の起爆剤として来月25日に開業する「ジャングリア沖縄」の成功に期待したい。 さて、そんな沖縄戦終結の80周年となる日の前日に沖縄で日本と死闘を繰り広げたアメリカ軍が宣戦布告もせずにイランの核施設を攻撃した。日本による真珠湾攻撃が非道だと言う国が同じような悪行を働いてもアメリカの世論は大人しい。2003年にイラクに大量破壊兵器が有るからと攻撃を行ったブッシュ大統領でも国連決議を得ようと模索し単独での攻撃は躊躇い有志連合という形にしたが今回の思いつきのような攻撃を許せば、アメリカは何処の国にも自由に攻撃が出来る国に成ってしまう。もちろんロシアや中国は同じ方向に進もうとするだろう。 イスラエルと空中戦を行っていたイランが、先ずイスラエルの攻撃を停めてほしいとアメリカに頼んだ時、「勝っている側に攻撃を止めさせるのは難しい」と述べてイスラエルを制止する気がないと答えたことにも失望している。ロシアとウクライナの間で勝っている方はロシアでありイスラエルとパレスチナならイスラエルである。トランプ大統領は勝者の側に着くと言っているに等しいので国際法を守るべきとする欧州諸国の価値観とは相容れない。 そもそも第二次大戦中に軍事施設ではなく住民の暮らす都市の壊滅を目的とした焼夷弾による空襲や原爆投下を行ったアメリカ合衆国こそが東京裁判で罰せられるべきだったのであるが、それを不問にしてしまった以上は今回のイランへの攻撃も問われることは無いのだろう。 沖縄戦で日本の戦力が疲弊し、戦闘を続けられなくなっている状況で参戦したソ連を多くの日本人は許さないという気持であったし未だに北方領土は不法占拠されたままである。アメリカはイランの土地を奪ったわけではないが、この攻撃により在アメリカのイラン系住民も怒りを覚えているだろうし、中にはテロに走るものも出てくる可能性は否定できない。そもそも日本の軍隊が約80年間に戦闘をしてこなかった事に対し、世界の各地で戦闘を続けてきたアメリカにとっては亡くなった人たちのために平和を維持しようという考えすらないのかもしれない。 関税だけでなく軍事行動でも世界に混乱を引き起こしている大統領を選んでしまったことをアメリカ国民は反省してはいないのだろうか、報道を聞きながらそんなことを考えていた。 |