公民館移行の誤解 | |
2025/04/17記 | |
15日の10時から全公民館をZoomで結び、市民も自宅から参加できる「公民館の地域交流センターへの移行について」の説明会が開催されることを回覧板で知ったので岩根西公民館における状況を見るために現地に行った。会議室でも使用するのかと思ったが入口に設置されているモニターを利用しするとの事であった。 その横のホールでは岩根西まちづくり協議会による「おしゃべりカフェ」が開催され、次々と地元の人たちが説明会場の横を通ってホールに入り珈琲を飲みながら世間話をしていたが、隅に私がいたためか協議会の役員の数名と実際に質問した元市役所職員を除いて寄り付く者はいなかった。 ![]() ![]() 説明会は各公民館で紙資料も配られた上で教育部生涯学習課と市民協働部市民活動支援課による説明が行われ、その後各公民館に集まった市民からの質問が行われた。説明を聞きながら元職員が耳にする心配事は「今までは定期利用をしているサークルの時間帯は暗黙の了解で他団体が使うことは無かったが営利団体が事前に予約してしまうと使えなくなるのではないのか」という事だという。営利団体の予約はサークルより遅くなる制度を設けているので問題はないけど他の公民館の傍聴者に理解してもらうように質問したらどうですか、と促したので岩根西公民館の質問は行われたのである。 ![]() 質疑を聞いていて説明していたことを理解せずにメリットやデメリットを聞くような質問は理解まで時間が掛かるから仕方ないと思ったが、もっと具体的に事例を挙げて誤解を解けばよかったのにと思う。例えば神社の祭礼の打ち合わせやお寺の檀家の総会は宗教行事として、市議会議員の後援会による活動報告書の袋詰め作業等は政治活動として、公民館の敷地の中での販売行為は営利活動として、教育基本法に抵触する可能性があって市民から行政に問題を指摘されて損害賠償請求の対象になる可能性が有るため、それに抵触しないように地域交流センターに移行するとすれば解り易かっただろう。 現状でも交通手段のない高齢者のために移動販売をしてくれているカスミに駐車場用地の一部を貸していることが法律違反だろうと偏屈な人から言われる可能性は否定できないと考えている。そのような福祉的位置づけや事業の公共性を理解してもらう努力より、教育基本法の網を外して使用料の減免措置を行うという方が簡単な対応なのである。 質疑を聞きながら感じたことは教育委員会に対する信頼と行政に対する不信感がある人が僅かだが存在しているという状況である。教育関係者は公平清廉で選挙で選ばれた市長や市議会は営利だけを追求しているという偏見があるように感じたのは私が後者の側だからであろうか。「なぜ公民館で出来るように条例を変えないのか」という質問をする人は「公民館」という名称を残し「教育委員会」の一部にすることに固執しているとしか思えない。 公民館で無くても公民館の機能を包括する、という形態では満足できないようだ。今まで市民部が所管してきた「まちづくり協議会」等の地域活動を公民館の中に包括することには拒否感が無かったのに逆になることがなぜ心配なのか、誰一人具体的なデメリットを提示してくれなかったので私には最後まで理解できなかった。 地域交流センターに移行すると金田のように指定管理にするだろうと誤解している人もいた。図書館も含め直営から民間委託に拒否感を感じる人は少なからず居るようだ。過去には国策事業であった鉄道・航空・郵便等が民営化された後に国営に戻せと言う運動が起きたとは聞こえないなかで、直営のものを民間に運営を委託することの心配理由が私には解らない。 そもそも公民館を全て廃止し事業として部屋貸しを行っている民間企業に委託するというのであれば経営の安定性や利用の公平性、利用者や行政の負担額など多くの問題が危惧されるが、運営を民間に委ね運営方針は話が違う。現実に問題が有るようなら既に金田地域交流センターで苦情が出されているだろうけど「良くやっている」という声が圧倒的に多いようだ。 ちなみに公民館であっても指定管理制度を利用することは可能であり、例えば千葉市は平成30年度より市内46公民館を「公益財団法人千葉市教育振興財団」に委託している。この様に民間委託と交流センターへの移行は次元の違う問題なのである。 もっとも金田以外の小規模公民館は直営とするように説明があったが、個人的には総務部の所管する市民会館と教育部の所管する中央公民館が同居することになる吾妻文化芸術施設では組織を統合して一体的・機能的に運営できるように制度を整えたうえで指定管理制度を導入することが望ましいと私は思っている。 今回の説明で出た質問や意見は否定的な立場が多かったように思うが、そもそも移行に反対していない多くの市民は説明会を聞くより隣の部屋で珈琲を飲んでいるのであり、投票所以外で公民館を利用したことの無いような大多数の市民にはどうでもよい話なのである。一部の「公民館」という呼称に固執する人に配慮するあまり事業化の遅滞を生じないように願いながら今回の記載を終える。 |