蔵王山 1,841m 山形県山形市
1995年3月12日登山

 年末に手に入れた山スキールート図集で、山形蔵王から宮城蔵王へのツアーコースが乗っており、標識の設置も多く難易度は低い、という内容なので出かけた。
 木更津から蔵王まではJRシュプール号で移動し、バスとロープウェイを乗り継いで山頂駅に到着。装備を調えて地蔵岳を越えて山頂の熊野岳を目指す。コースはこの後刈田岳を経て聖山平に滑り込めば澄川スキー場という計画である。
 しかし、天気予報が外れガスで周囲が見えない。山頂についても熊野神社がなかなか探せない。遭難の危機を感じて自分のトレースを忠実に辿って蔵王スキー場に帰還し、生き返った安堵と中断した悔しさを噛み締めながら山形新幹線で帰宅した。
宮之浦岳 1,935m 鹿児島県屋久町
1995年4月30日登山

 前日の内に予約しておいたタクシーを早朝に宿泊している宮之浦荘に来てもらい、白谷川登山口まで送ってもらう。雲水峡を登り979mの辻峠を越えて小杉谷に降りる。営林鉄道跡を遡りウィルソン株、大王杉、夫婦杉を過ぎ、縄文杉を過ぎると今夜の泊まりの高塚小屋である。この日は欧米人2名を含め、20名程度の宿泊者があったように記憶している。
 30日は朝から雨。さすがは月に35日雨が降る山だと感心しながら縦走路を進み視界のない山頂に到着。ビールで乾杯した後、さらに南下し花之江河湿原を過ぎて川を渡った所で、先ほどすれ違った青年に追いつかれる。山頂までのピストンを行い林道にタクシーを待たせてあるとの事。安房のバス停まで同乗させてもらう。聞けば昨日の午後の高速船で来て今日の午後の高速船で出ると言うこと。慌ただしいと思うが人から見れば私の旅も大差ないのかも知れない。
 バスを待ちながら河原で昼食を取り、宿に着いてから買い物や宴会を行い、翌朝屋久島を後にして種子島に渡った。ここに至る旅については西海編を参照。
至仏山 2,228m 群馬県片品村
1995年5月28日登山

 大学の後輩の結婚式が日曜の午後4時から渋川市で行われることになった。その時間設定は日曜の午前中に山にでも登ってこい、と行っているようなので前日の昼に鳩待山荘に到着し、カメラだけ持って山ノ鼻まで足を延ばして湿原の上に聳える燧ヶ岳の勇姿や水芭蕉の花を観賞して来て山荘泊まり。
 朝食を食べて朝6時半に出発。天気は2日続けて快晴である。標高1800mを越えると残雪の上を歩くことになり、戸惑っているハイカー達をどんどんと追い抜き山頂に1番乗りをする。平ヶ岳を始め上越国境や東北の山々が美しい。一人ビールで白い頂に乾杯する。
 しばらく待つが誰も来ないので自分が入る写真を諦めて下山を開始。オヤマ沢田代を越えて下りになるとグリセードで一気に速度を上げる。すると一人で登っている男に知った顔が。
 何でこんな所に居るんですか、ってお前に言われたくはないぞ。F島。たしか今関西赴任中だろう!
 すっとすれ違い白沢温泉で登山着から礼服に着替えて結婚式に出て帰った。
会津駒ケ岳 2,133m 福島県檜枝岐村
1995年8月5日登山

 夏風邪で喉の痛みが一月近く続いており、7月28日に君津中央病院に診察に行ったら扁桃腺が化膿しており手術で取らないと毒が回って良くないと言われ3泊の緊急入院をしてしまった。
 1日に退院してきて直ぐの日曜日であるが元気になれば登山したくなるのが人情である。それでも体調を心配し、適度に日帰りできる山で温泉の良いところを考えると会津駒ヶ岳に白羽の矢がたった。
 前夜のうちに車で移動し、車内でエアマットと寝袋で睡眠する。登山は檜枝岐下原から山頂までのピストンで、登り2時間半、下り2時間の行程。
 下山後は木賊温泉と湯ノ花温泉を梯子して、那須塩原ICに出るが情報掲示板に渋滞と出ているので一般道を使って帰宅。途中でさらに喜連川温泉にも湯治で寄ってしまった。
No17 .1995/1-1995/8    ←No16No18→
日本を走る